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2023(令和5)年度
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≫5/18/23(木)はじめまして330です。

量子力学に基づく量子もつれによってOと1が同時に成立させることで、見る側と見られる側が入れ替わることで原爆資料館の見方が一層深められると思う。論説、文学に必要な資金はごくわずかですむ。またよりクオリティの高い日常使われ消費するものも同じである。私が高3の時、数学の先生から「お前達は文系だから数列、微積など必要ないが、公立だから習ったことにするため、理解力も興味もないないと思うが・・」といってから授業に入られた事がある。終わってから教え方が上手いこともあり殆ど理解できた。日本の大学はモラトリアムを嫌い、自分の人生の目的に大学の学部を決めることを優先させますます高度に高められた学部への割り振りを進めるため、2次試験を設けたり、AO受験や小論文で大学の学部毎異なる研究領域への興味関心の度合いを求めるようになってきた。そこが海外の大学と異なる点だ。そして残念ながら理科系の学部は研究設備の充実が高いほど実績が高く、評価も高くなる。日本の大学は先進諸国より劣ってしまうのは近年やむを得ないのかも知れない。精神論になるかも知れないが、被災者あるいは患者とその家族とそれを見る側の入れ替えを心の中で行うことができれば、何かそこから見えてくるものがあると思う。それを広島サミットを機に生かしていけたらと思います。

≫5/17/23(水)はじめまして329です。

習近平さんも昔、アメリカの加勢もあり蒋介石(後の台湾支配)によって日本の侵攻を阻止、毛沢東の一党独裁が確立し、例え最初はPKO的だったとしても他国に侵攻してはならない事を内外に示すことができた。中国の拡張的施策(一帯一路)は、地球を一つの人間の体の例えるなら、国毎の国内の信頼に基づく発行権は、体の隅々にある骨髄から血液がつくられるのが理想だが、武力の増強(身体)と頭脳の集中(こころ)に血液(資本金)を注入させることで国境なきグローバル世界創世の二重のヒエラルヒーの五芒形が今日できてしまった。この対立がウクライナ・ロシア紛争である。武器を如何に供与するかはどちらも損害はますます著しくなる。広島サミットの目標は紛争当事者の市民の立場を考えれば中国も交えて復興への足がかりを示すことである。すなわち双方の休戦へ向けた話し合いである。丁度中国もアジアサミットを計画してくれたのでオンラインで話し合える場を設定してほしい。

≫5/16/23(火)はじめまして328です。
プーチンさんが昔、秀吉がロシアの辺境の地ツングースまで侵攻した過去に思いを走らせ、その当時、秀吉が自らの権威を脅かせるわびさびという美を確立しようとする千利休に対し切腹を命じる顛末に興味を抱き、彼を放逐させた自由都市の現在の堺に訪れ、柔道精神の育まれる様子に拘わりたいということで堺のある中学校(大浜中学)で一緒に練習と指導したことが思い出させられる。あの経験は今のプーチンさんにどのように働いているか、興味深いところである。

≫5/14/23(日)はじめまして326です。
今日は朝からNHKで広島サミットへの最終論議がライブされていた。全世界がこれを中止しているのに、またしても画期的な提案があと数日というのに示されないままだ。習近平さんがひとこと“核の使用は地球絶滅だ”中身はともかく全世界に発信したことでアメリカによる一極の支配の終焉が開始された瞬間(WBCで日本がアメリカに勝ち優勝で軍拡とは平和への違ったアプローチの証明という一隅のチャンスもあったのだが)、核を持たない日本と核拡大へ向かおうとする中国との対話が図られたら、G7に中国も呼べたであろう事を、その時ブログで書いたのだが、ブログ自体がゴミのようなつぶやきなのだからしょうがない。にもかかわらず日本では相変わらず言論陣やメデイアも含めて差別の拡散への懸念から“ことば狩り”を行い、国内の国民にも見えないタブー(ブラックボックス)を作っているのではないだろうか。まだ日はある。厳島サムライ出現への道は険しいが外交の岸田さんだったらやってくれそうな気がする。私たちには想像できない壁があると思うが、陰ながら応援します。

≫5/8/23(月)はじめまして320です。
今回の広島サミットで発想の転換が各国のリーダーが果たしてできるだろうか。育ってきた教育環境によって原爆投下の受け取り方に差異が生じる事に注意しなければならない。それは現在のロシアの軍隊が国軍と民間部隊の戦意の地がにも関係する。国軍は純粋に国を憂えるところから自らのいのちを賭けての戦いに挑むのに対し、民間部隊はそうした考えもあるがむしろ自らの生き残りをかけての戦いである。ウクライナの市民による義勇兵も同じだ。日本の場合はその二つの考えを切り分けるため、前者を防衛大学に任せ、平和を希求する以上有能な人材が旧帝に集まってしまう流れを断ち切るために幅広い教科を基準とした学芸大学を2期校を設け国公立の複数受験制度を用いたが、私立大に併願の方に流れてしまった。そうした流れを解決するため全国統一標準テストが始められ、それに呼応するかのように公立日比谷高校に集中する体制から総合選抜制が取り入れられた。一方では後者の流れと関係するが、資本主義下で民営化が国の本流とする考えは根強く、旧帝を凌ぐ私大の台頭が今日も続けられている。そういう意味から日本の国内にも異聞する国力を二分する考えが少なからずあるのではないか。

≫5/7/23(日)はじめまして319です。
第二次世界大戦の契機は、外観はハルノートで示された当時の欧米(後発ドイツを除く)による 日本封じ込めて暴発誘因作戦と内観の陸海士官学校の分裂(現在のロシアの国営、民営軍の対立と類似)と旧制帝国大学出身者を中心とする政財界の挙国一致に起因したという反省もあって、戦後は旧帝(国内の天才達の登用)を解体し、現在ではこどもは高度情報化のなかで限られた人生での自分の役割(使命)を義務教育の中で考え、後期中等教育のなかで模索しさらに大学でその使命の深化を図るシステムが確立し天才と言われる人材も産業の至る所に拡散しAIの進化によるIT環境も進化の一途が図られる土壌ができたのだが、預言者的役割を求め天才活用を偏差値偏重に陥り、再び自ら平和や愛を語るだけで、生死葛藤の現場の外で自らの存立の維持に努める輩に成り下がっているとしたら、また再び日本を含め同じような国が増えて来ると問題は解決しないどころか終末へと突き進む。果たした今度広島G7で来日する人々がどのような過程をへて来られるのかはわからないが、その自分の育ってきた社会全体を総括し、自国に戻っても日本で見たことを是非とも生かしていってほしいものです。

≫5/6/23(土)はじめまして318です。
それで人間が幸せを感じれば敢えて木偶の坊と呼ばれたり思われてもいいと感じて決断する人を決して否定はしない。それで進化が早まるのならという考え方も一理ある。しかしそれが主権者たる国民を犠牲にしたり、他国の市民を犠牲にする場合は論外である。医者は患者を病から救う事に専念するが、患者は医者になれない、知識も道具も技術もない。医者が少しでも患者の立場になることで真剣さに残念ながら差が出る。死に直面しても尚、死にいくのは自分である以上、心の中まで明かしたくない。各国ごとの集合知としてのブラックボックスはあってもいい。それは自国を守る知恵である。日本の柔道、剣道は他国への進撃した豊臣秀吉、進駐軍による刀狩の中で武のこころを育む文化を世界に広めることで超国防的精神の普及に成功した。私自身もある学校で一人一人ブラックボックスづくりを教材としてといり入れたことがある。例えば現段階の日本の超国防的方策としては最新兵器(※核のような終末兵器を除く)として超音速戦闘機(F2)、超高速滑空ミサイル、レザー、レールガン、探索機(P2)、探索衛星などその発想は限りない。ただしAIロボット兵器(ドローン含む)についてはロボット3原則を逸脱するようなことになれば終末兵器になるので論外で特に注意を要する。(私が20年前大学院で発表した内容とも関連する。)それがまさしく国防におけるブラックボックスである。

≫5/5/23(金)はじめまして317です。
昨日は散歩2回、夕食後ユーチューブでプロレスを見続けボルテージが上がったため、めまいのため立ち上がれなくなった。興奮すると確実に容体が悪化することがわかった。こどもの日のこどもの目にはどんな風に写っているだろうか。年寄りには自らのいのちを縮める行為であることが身にしめ、急いで寝ることにした。思えばコロナの蔓延でパニック状態からICUへ直行の道をたどったことが思い出させる。今世界で起こっていることと自分のことのように感じるこころが一番大切だ。広島G7で原爆資料館の展示物を見て、もし胸からこみ上げる感情が嗚咽の涙、怒髪天を付く怒りに変わらなければ、自分自身が木偶のぼうの方に近づいてきている事を自覚し、なぜそうなったのか過去の生い立ちのすべてを振り返り、自分に与えられたミッションを立て直す必要がある。私にはそれ以上いえない。所詮その人本人の問題であるからである。

≫5/4/23(木)はじめまして316です。
そういう見方をするようになったのは基を正せば、朝鮮戦争でマッカーサーが中ソが北朝鮮に加勢しだし、戦局が悪化したため、アメリカ本国に核の使用の要請をしたが、当時のソ連が核を持っていたので、核の全面戦争だけは避けたいという判断があってから、“実際には持っていても使えない兵器”という認識が働き始めた。戦争は常に追い詰められたと感じた国、自国の正義を他国に押し込もうとしたときに起こるものである。核さえ使わなければ、自国を守るための戦いでは超大国の介入は敗北してしまうものである。どんな武器を使おうが戦いは最終的に泥沼状態になり1対1の持久戦になるからだ。

≫5/3/23(水)はじめまして315です。
今日は憲法記念日。日本の漫画で“北斗の拳”のケンシロウのことばがアメリカを初め話題になったことがある。“お前はすでに死んでいる”。日本の漫画のなかでは“殺気(サッキ)”というその瞬間の気配を表すことばが表現される。相手に殺気を感じさせることで、感情も理性も通用しない狂気の世界となる。だからもしそういう意識が少しでも芽生えたとしたら、“お前はすでに死んでいる”と敢えてつぶやかせるのだろう。岸田首相が再三言い続けている「暴力で解決を決して図らない。」ということも大事だが、ことばで追い詰めて暴発させ、自滅を企む事も良くない。それができないで、緊張を拡大させてきたのがこれまでの歴史だったことをこの一発触発の今の危機にじかくすべきだ。それが与えられた憲法第9条であるが、日本だけでなく世界の各国の法律に盛り込むことを希望する。それに至る布石としての超法規的法律をあわせてG7広島サミットまでに作り上げる事を願う。

≫5/2/23(火)はじめまして314です。
哲学も経済学も所詮科学として仮説の真偽を戦わせるという意味で史的唯物論内の演繹法から逸脱できない。芸術的領域も表現の領域別関係を論じ帰納法という下部構造の流れを作っていったとしても、多元的価値の追求によってさらにその先に未来の形を見つけ出したとしてもそれ以外のところで新たな問題や光が見えてくるものだ。ドストエフスキーの“地下生活者の手記”を読んでからロシア文学に傾倒していった時代がある。プーチンさんの生い立ちからナチスを生み出す西欧と同じように東アジアでも感じ、どこかにその解決の糸口があるのではないかと模索し、その一つが柔道であったのだろうと思う。

≫5/1/23(月)はじめまして313です。

今日はメーデー。かっての労組の権威ある委員長の奥さんも教員で退職教員総会の余興で“人は石垣人は城”の武田節を見事に歌われた事が思い出させる。初めて務めた学校で一緒だった事もあり感無量だったことを覚えている。それも私自身が男ばかりの4人兄弟だったからなおさらで、2,3年ごとの年齢差があり、戦前、戦中、終戦、戦後が兄弟同士が話すといやが上でもその違いが歴然とわかり、貴重な生きた指標となったようだ。私の場合はその当時戦争に協力したということで大手銀行は全面解体、アメリカの傘下を拒んだことで70年後の日本にバブルをもたらす要因を作り上げたのだが、そのはざまの銀行封鎖期に生れたので何も食べるものもなく餓死寸前で、見知らぬ人にサツマイモ一切れ恵んでくれたので、その時いのちが救われたと自分が仕事に就いてから聞いた。私たちの年代の多くは多額のローンで家を手に入れ、想像を超えた通勤ラッシュで猛烈社員として激務をこなしたあげく、関西では震災で家を失ったりして、ローンだけが残ったりした。退職金はもらえてもローンの返済で0、にもかかわらず老後資金2000万かかると言われりゃ、退職しても働かねば生きていけない。そこにコロナの蔓延。人生、戦争と平和、核に対する見方がこれほど身近に感じた世代は世界的にも歴史的にもないであろう。

≫4/30/23(日)はじめまして312です。
国を預かるものにとっては国家の2番目に重要なのが国土防衛である。経済は即、実生活にその成果が現れるのに対し、突然我が身に降りかかってくる。中でもまず核をどう教えるかである。かって日本などの軍事大国が現れたらそれを抑制するために戦勝国の核の保持を容認し5か国常任理事国の全賛成としたため、しばしば決定に至らず、常に機能不全に陥ることが多い。広島G7で一層例え核を所持しても絶対使えない兵器であること、持つこと自体“威嚇”であることを自覚し、まして準備態勢にはいるなど絶対あってはならない。ロシア・ウクライナ紛争でも武器使用から核へ移行されることが絶対ないよう、たとえ非核であっても他国から供与をできるだけ見合わせるようにしよう。どうしても、かなわぬ場合は自国の防衛のためのみ従前の武器からの変異(存立危機対応としての核も含む)も容認できる。現在のような切迫した状況では武器を他国に依存もありだが戦略的に変異改造を考慮し、外交を重視し戦略的防衛策を双方ともに講じておく必要がある。

≫4/29/23(土)はじめまして311です。
今日は朝から日本晴れ。庭の木々も心なしか喜んでいる。朝は妻の作ったココナッツ入りのケーキと栄養ドリンクで朝のささやかなひとときを楽しむことができた。今日という一瞬から全身の感覚で実感できてる事の素晴らしさが幸せにつながる。今日は初めて携帯をポケットに忍ばせたので、悪い癖がまた出て携帯のTik Tokを開いてしまった。新たなものを作り上げること自体、それが作る人の興味関心に基ずくものであれが、容認せざるを得ない。それが明らかに健康に災いがあると知れば誰も絶対に作らない。ところが病んだ社会や戦時中であれば、目の前の利害損得感情が優先し作ってしまうこともある。だから平時には勝者たるものはそれをそうしたものを取り除く義務がある。それを宗教的言語の“原罪”とか“贖罪”ということばでかたづけようとすること自体が問題である。結局静かな朝の一時がだんだん気まずくなってしまった。

 

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